満月の夜に…

COLUMN

(珍しく家族のことなどを…長文です)
前々回の満月の夜、自宅にて父の呼吸が止まってしまったため、生まれて初めて救急車に乗りました。
父は65歳。

私のこの歳にしたら若いと思います。
数年前より発病し現在自宅で療養しています。
治療法がない病気のため、新しい治療法が発見されることに望みを託している状況です。

それでも段々病状が進行しているため、少し前に6社(病院・看護・介護・その他)と、今後と緊急時の対応について話し合いをもったところでした。
その際にこのような突然のことについてもシュミレーションしていたため、慌てながらも各方面に連絡をすることができ、一命を取り留めることができました。あっという間に真っ青になっていく姿を目の当たりにしたときには、最悪のことまで頭を過りました。

いつもの看護の方が連絡直後に2-3分で到着してくれたこと、近くに出来たばかりの消防署から救急車が5分程で到着してくれたこと、まだまだ心臓が丈夫であったこと、様々な幸運が重なりました。

医師からは、あと「数時間なのか」「数日なのか」「数週間なのか」わからない…と言われて落ち着かない日々を過ごしたものの、前回の満月頃に退院し最近ようやく落ち着きました。

その頃のイベントやパーティーなどは欠席させて頂くこととなってしまったものの、お仕事はなんとか変更なく対応しました。

改めて、代わりがいなく、自分一人でお仕事をしていることを実感しました。最近イベントのお仕事などを頂くことも増え、絶対に休むことが出来ないので、そのような時の対応についても考える機会となりました。

父は、とても日本らしい会社、1社だけを勤め上げました。時代的にもとてもラッキーで、昭和から平成にかけてとても伸びた業種だったのではないかと思います。社員10万人超の会社で取締役まで務めたのは、当時の私はよくわからなかったけれど、世間に揉まれるようになった今になって「う~む」と思います(笑)。


度々お見舞いに来てくれる子供の頃から知っている会社の悪友のおじさんたちが「お父さんはね『大声の挨拶』と『飲み』だけで乗り切ってたんだよ~」と教えてくれたけれども、本当に昭和的コミュニケーションだったのだろうな(笑)。毎晩遅くに帰って来るものだから、病気で早期退職するまでお休み以外は一緒に食事をした記憶もあまりなく、あまり父を知らない…。

それが今になって、こんなに一緒にいるものだから、母と一緒に「お父さん、こんな性格だったのね〜」と驚いていたりもします。

このような状況だから、母と弟と色々と話します。家では今も昔も、私と母に「ブーブー」言われている父だけれども(笑)、家族が普通に幸せに生きてこられたことは父のおかげであり、尊敬すべきなのかなと思い始めました。

会社の愚痴などは全く聞いたことがなかったけれども(楽な仕事で羨ましい!と思っていました・笑)、やっぱり沢山ストレスもあったのかな。
それが今になって身体に出て来てしまったのかな。。。
定年したら夫婦で色々遊ぶ予定だったらしいのが、なかなかそうもいかないので、母は想定外のようで。。。

まだ動けていた数年前は、丁度私もプラプラ放浪していたので、家族3人で旅行などもしていたけれども、近頃は体調的にもなかなか難しく。。。色々と予定通りにはいかないものです。

治療法のない病気だけれども、時折「治療法発見!」的な記事を見るものだから「もう少し頑張れば治る」と思っていた能天気な娘でした。現実問題まだまだ難しいようです。
今更だけれども、もう少し心を入れ替えて優しく接するようにしよう♪
そして日々を大切に過ごしていきたいと思います。

バタバタの頃、予定変更の対応を頂きました皆様、ご心配頂きました皆様、ありがとうございました。
そして入院当日、何の前情報もデータもないにも関わらず、いきなりTELで泣きついた私の対応をしてくれた百合野先生♪ありがとうございました✨

満月なので、なんとなく語ってみました✨

そのようなここ最近に限って、FBのお友達申請や、なぜかまだお会いしたことのない方からご指導やお考えなどをご教示頂いております(笑)。

お返事などをする余裕もないため、今後レッスンを再開した折りなど、直接お会いする機会がありましたらお話出来たら嬉しいです。どうぞよろしくお願い致します



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